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松本民芸家具ロゴ

初期のウインザーチェア(17世紀英国)

 昭和23年、松本民芸家具の創始者、池田三四郎は、京都の相国寺で開かれた日本民芸協会第二回全国協議会において、日本民芸の祖、柳宗悦と運命的な出会いをする。「美の法門」と題したその講演の内容、そしてその場の雰囲気に池田三四郎は圧倒された。後にその時の思いを次のように語っている。
 「人間の一生には三度の誕生がある。その第一はもちろんこの世の生を受けた時であり、第二は人生とは何ぞやという人生観を考えるようになった自己発見の時であり、第三の誕生とは先覚者の話、または書籍などによって従来の考え方に転機を与えられた時。私にとってはこの相国寺の夜の講演が第三の誕生になったと考えられる。」
 この日を境に、池田三四郎は民芸論の研究、体得に励み、柳先生の松本の木工業の復興を民芸によって果たしてほしいという願いにこたえるべく、家具作りの道を歩み始める。松本民芸家具の始まりである。

   

初期のウインザーチェア
(左:18世紀米国 右:18世紀英国)
 松本は大正時代の末、日本屈指の和家具の産地として栄えた。ところが戦争と終戦直後の混乱によって和家具の生産は休止状態になり、木工職人もバラバラになっていた。そこで池田三四郎は、その職をなくしている無名の名工を集め、戦後のこれからの日本の暮らしに必要とされるであろう洋家具を作らせることを考えた。しかし、洋家具の知識すらない頑固な和家具職人に未知なるものを作らせるということにおいてそれは決して容易なことではなかったという。
 「毎日酒ばかり飲んでいるもの。手抜きぐせのぬけないもの。中には懐に包丁を仕込んで来て、注意を逆恨みして私と刺し違えようとするもの。くせのあるやつばかりだったよ。」
 しかし、池田三四郎が真剣にこの仕事の尊さを語り掛け続けていくうち、いつしか職人たちも心を開いていった。元来情熱と腕のある職人たちは、仕事を覚えるのも早かった。後になってバーナード・リーチ氏が「イギリス風の椅子作りを教えると、すぐに勘所をつかんでしまう。」と感心していたという。
   

芹澤ケイ介氏からの手紙
 松本民芸家具が当初より特に力を入れて研究・製作したものが椅子である。イギリスのウインザーチェアとアメリカの開拓時代のウインザーチェアなどを主な手本とした。それは、ウインザーチェアが庶民のなかから生まれ、庶民に育て上げられ、その後の家具の歴史に多大な影響をあたえるまでに成長した、まさに庶民工芸の代表ともいえる椅子だったからである。先ずは古いものを忠実に習作する。そうすることで先達の英知を体得する。そして繰り返し作り続ける。そんな椅子作りは、失敗を繰り返しながら着実に完成度を高めていった。
 その間、柳宗悦氏はじめ、木匠の安川慶一氏、陶芸家の濱田庄司氏河井寛次郎氏バーナード・リーチ氏、型染の芹澤ケイ介氏など、民芸運動のそうそうたる面々が松本の地を訪れ、あるいは池田三四郎と書簡を交わし合い、松本民芸家具の現在へと通じる基礎作りに大きく貢献した。
 昭和30年代に入ると池田三四郎の妻キクエが中心となり開発したラッシ編み椅子(いぐさの一種)が第十回民芸大会賞を受賞、全国主要都市の有名百貨店などで販売が始まるなど松本民芸家具は徐々に世間に広まっていった。
   

松本民芸生活館(長野県松本市)

 昭和44年、池田三四郎は松本工芸の伝統を伝える若者たちの寄宿舎として、見た目の形や、機能だけでは計り知れない物の本質を将来の作り手に体得させるためイギリス、アメリカ、フランス、朝鮮、日本などの家具や調度を蒐集・陳列、そうした物とともに生活しながら、修行する場所として、「松本民芸生活館」を建設した。現在では世界遺産に指定されている富山の五個山から、当時は廃村にあった合掌造りの民家を松本に移築したものだ。ここで職人の卵たちは毎朝5時から掃除で始まる集団生活をしながら、時間を積み重ねてきた家具の命を実感し、また心身ともに健康な体作りに励む。今の松本民芸家具の職人のほとんどはその卒業生であり、現在も同じように数人の職人の卵が生活している。
 この生活館をつくるにあたり、池田三四郎は次のように語っている。
 「究極的には、民芸生活館とは民芸の語る真理をたずねつつ、環境の中に生まれる有形無形の暮らしの真理に心をひそめつつ、永久不変な人間常道の研究、実践道場とならなければならないであろう。」
 平成11年12月、池田三四郎は90歳の生涯に幕をおろした。しかし松本民芸家具の道は今も着実に続いている。先達の思いはしっかり受け継がれ、松本の家具の伝統を伝えていく若い世代が今日も黙々と仕事している。現在、松本民芸家具の製品種類はレギュラー商品だけで800種類を数えるまでになり、愛好者は日本中に広まっている。
 松本の地において50年の時を越え、今日もまた未来に伝えるべき「本物」を追い求める「仕事」が続けられているのである。

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